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  • 2016.12.28 Wednesday

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    DVを少しでも減らすためには? パート2

    • 2009.12.10 Thursday
    • 11:04
    DV被害に遭うと、自己肯定感が極端に低くなり、「自己」というものが混乱し、他人との境界線もあやふやになります
    そのため、攻撃を受けやすく、かつ攻撃を仕掛けてしまう性格に変貌しかねません
    少しのことでダメージを強く受けてしまうので、人とのコミュニケーションが怖くなり、ビクビクと不安を抱える一方
    自己防衛しようと常に牙をむき出し、人を威嚇してしまうこともあります
    DV加害者の深い闇に巻き込まれてしまい、今度は自分までもが、依存体質になっていってしまうのです

    自分で自分を幸せにする力を失ったと思い込み、その方法も忘れてしまったため、誰かに何とかしてもらいたいともがくようになります
    その時に、差し伸べられた支援が適切なものであれば、DV被害者は再び、「自己」を取り戻す道を見出すことが出来ます
    しかし、握り締めた手が、DV加害者であれば、ますます暗闇の深淵へと引きずり込まれていきます
    縋りついた手の持ち主が、DVに無理解であれば、絶望を感じるような言葉を投げ掛けられるかも知れません
    ようやく逃げた、幸せになれる・・・と、握り締めた手の相手が、実はまたDV加害者の要素を持っていた、ということも有り得ます
    そうなると、どんどん本来の「自己」から遠ざかる人生を歩み続けることになります
    「DV加害者のために生きる」プログラムを一生稼動し続け、心身を衰弱させて生きていくことになるのです

    こう書くと、本当に大変なことなんだな・・・DVに遭うって・・・と、素直に思います
    それでも、希望はあります
    「自分で自分を幸せにする力を失った」と、思い込んでいるだけって、ことです
    それをどう思い出すか、どう取り戻すのか?が、大きなDV被害のテーマなのです

    DV防止教育センターの講師の方は、アドラー心理学という言葉を教えて下さいました
    図書館で借りて、本を何冊か読みました
    私の第一印象は、
    「当たり前のことを当たり前と思わずに、褒めて、肯定する」
    でした。
    アドラー心理学を子育てに生かす本は、いっぱい出ています
    子育てに生かすことは、とても良いことだと思います
    生かすことで、自己肯定感がしっかり身に付いた子供さんがいっぱいになれば、DV行為に頼る誘惑に打ち勝つ力を持つことが出来る人が、増えるかも知れない・・・と、思います
    アドラー心理学の名前は出てこないのですが、下に紹介した本は、アドラー心理学と通じることばかりが紹介された、オススメ本です
    今すぐ、何とかしたい、答えを知りたい!と、いう方は、一読をオススメします。
    本どころじゃない、それじゃ足りない・・・という子育てに苦悩されている方は、児童相談窓口を頼っていいと思います
    私も、何度かお世話になりました
    DVのことも話し、子供にどうしてやればいいのか分からないと泣いて、話しました
    話すことで、見えてくることって、いっぱいあります。
    どうか、抱え込まずに、頼れるトコロは頼ってしまって下さい。
    甘える権利は、誰しもあるのです。
    甘えて、休んで、力が戻ったら、また頑張ればいいのです。
    もう十分、頑張っているから、どうしようもなく辛いのです・・・

    DV被害のテーマは、心身のケアが第一ですが・・・
    DV被害者の一番の願いは、これ以上DV被害が拡がらないこと、増えないこと、できるならばDVがなくなることではないでしょうか・・・
    そうするための教育が、求められているのだと思います
    でもそれは、
    「暴力はいけない」
    「虐待はいけない」
    と、強制的に教え込むことでもなく
    「みんな違うんだよ」
    「ぼくはぼく、君は君」
    と、叩き込むことでもなく
    まず、
    「あなたが生まれてきて、あなたが生きていて嬉しい」
    と、誰かに肯定され、ここにいていいんだと、力強く自分を肯定する力を大きく育むことではないでしょうか
    そのことをきっかけにして、
    「わたしは生まれてきて良かった、わたしはわたしが、こうして生きていて嬉しい」
    と、自分を抱き締め愛することのできる存在になるのだと思います

    DVと闘う日々の中、数え切れない夜、
    「今日が無事に終わって良かった・・・・」
    と、夫の寝息を聞きながら思いました
    そして、朝が来る度に、
    「ああ・・・朝が来てしまった。今日が始まってしまう・・・」
    と、夫や子供に知られないように泣きました
    今までの人生、
    「明けない夜はない」
    という言葉を支えに生きていた時もありましたが、まさか、夜明けそのものを恐れ憎み、悲しむ日が来るとは思ってもいませんでした
    それでも、ふと・・・気付いたのです。
    泣きながら起きて・・・今日が始まったのは、何故だろう?
    何か、意味があるのだろうか?
    ああ、そうか・・・私は、まだ私を生きていたいんだ・・・と。
    死を迎える日が来るのならば、せめて「私」に戻ってから死にたいのだ・・・と。
    その日までは、何としても朝を迎えて、起きて、生きて・・・と、私が、そして私を見守ってくれる誰かが、何かが、願ってくれているのだ・・・と。

    今日も、朝は訪れました
    そういえば、子供の頃、ラジオ体操がありました、夏休み
    歌も歌いました。
    新しい朝がきた、希望の朝だ・・・
    朝は、希望の朝なのですね
    今日も読んで下さり、ありがとうございました
    皆様の朝が、少しでも穏やかな気持ちでいられるものでありますように・・・心から祈ります

    そうそう、ラジオ体操って、小学生の時はハンコ貰ったり、お菓子貰うために必死に通ったんですけど
    中高生の時は、あの大音量の歌と体操の掛け声に、
    「眠らせろォ〜〜〜〜〜ッ
    と、怒っていたのも、懐かしい思い出です
    で、ラジオ体操が終わって、ホッとして寝直すと、網戸に張り付いた蝉の鳴き声に、また起こされるんですよね〜








    評価:
    明橋 大二
    1万年堂出版
    ¥ 980
    (2005-12-01)
    コメント:とても分かりやすく、一番大切なことがいっぱい書かれている本だと思います。

    評価:
    明橋 大二
    1万年堂出版
    ¥ 980
    (2007-11-07)
    コメント:すべてのパパが読んで、何かを感じ取ってくれたらいいのに・・・と思わずにいられません。

    自分を取り戻す DVと向き合いながらパート1

    • 2009.12.11 Friday
    • 12:26

    昨日最終回だった、NHKドラマ「ROMES 空港防御システム」を見たのですが・・・ううっ・・・良かったです
    テロリスト対策として開発された、スーパーコンピュータ「ROMES」が導入された空港を舞台に繰り広げられるドラマなので、ドキドキハラハラドカーンズキューンといった場面もあり、結局最終回しか、きちんと見られませんでしたが、良かったです
    主人公の成嶋さんが、過去のトラウマからようやく抜け出し、笑顔を取り戻せた最後が、とても良かったです
    一人にで孤独に耐え、闘い、それでも努力を続けていれば。
    ある瞬間、救われるきっかけやヒントにめぐり合い。
    誰かの思いや気持ちが、そのことを後押ししてくれて。
    自分の中で、きちんと答えを見つけていくことが出来るんだなあ・・・と。
    やはり人間って、素敵だな・・・と、感じられるドラマでした。
    途中、あまりの緊迫状態にやめようかな?と思ったけど、我慢して見た甲斐がありました

    DV被害に遭うと「自分」が分からなくなります
    DVに遭っている、DVに遭った、DVかも知れない・・・と、気付いたら、まず、
    「自分が侵食されていないかどうか?」
    を確かめることをオススメします
    私は、ここに行き着くまでに、ものすごぉーく時間が掛かったので、周囲との軋轢が大変でした
    「自分」グチャグチャの状態で、周囲に理解を得て欲しいと願っても、意思疎通がうまくいかない時があります
    余程、相手がDVに理解があるか、懐が深く包容力があるか、じゃないと、相手をも混乱させてしまいます
    ですから、まず、
    「自分が、何処まで自分を保っている状態か?」
    を確認することは、とても怖いことでもありますが、大きな武器になることです
    DV加害者を攻撃するとか、そういう武器ではありません。
    これ以上、自分を傷つけないための「武器=防御」です。
    自分を守る武器になることなのです

    方法については、アドラー心理学に助けてもらいます
    私は、子供向けワークを参考にしました
    まず、自分自身への見方を「主観的」「客観的」か、この点に注目します
    「いつも身体が重くて、朝が苦手でたまらない。こんな自分が情けない」
    この場合の主観は、
    「いつも」「こんなです。
    365日、毎日が「いつも」そうではないし。
    この世に生まれて生きてきて、ずっと「こんな」では、ないはずです。
    だから、
    「今日は、身体が重くて。朝は苦手でたまらない。」
    で、いいのです
    「自分が情けない」
    と思うのは、本当に、あなたの声ですか
    「朝御飯とお弁当は、奥さんの義務」
    という、パートナーからのプレッシャーではありませんか?
    「仕事に行く旦那の朝のことくらい、出来ないのか?」
    という、身内からの叱責ではありませんか?
    「布団の中から、いってらっしゃいと手を振る妻なんて、言語同断です」
    という、テレビのコメンテーターの言葉ではありませんか?
    「病気だからって、甘えてはいけない」
    という、自分の中の”決め付け”ではありませんか?

    自分を責める声が聞こえたら、まず深呼吸をして下さい
    深くすることが苦手なら、軽くでもいいです。
    そして、紙に書き出します
    「主観」「客観」か、見つめてみて下さい。
    「主観」と感じるところをシルシをつけてみて下さい
    そして、この「声」が、本当に自分の「声」なのか、少し考えてみて下さい
    「主観」でよく使われる言葉は、
    「いつも」「大体」「こんな」「〜ばかり」「〜できるだろう」「〜はずだ」「やっと」「せっかく」「ようやく」「また〜なの?」「どうせ〜だろう」
    です。
    「ぐずぐずしている」「のろまだ」「怠けている」「ひどい奴だ」「性格」「感情的だ」「被害妄想だ」「一生懸命」
    これらも「主観的」に入ります。
    それぞれの基準も度合いも、人によってそれぞれ違いがあるからです。
    Aさんが「一生懸命」と思う状態と、Bさんが「一生懸命」と思う状態は、丸々同じではないですよね。
    「主観的」に注目し、それらを外して考えるようになると・・・あれ
    あれ
    あれ
    と、気付くことが、少しずつ、少しずつ、あると思います
    本当に、本当に、少しずつなのですが・・・

    書きたいと思う時に書くこともいいですが、時間を決めて書くようにすると、毎日続けられていいかも知れません
    続けていると、少しずつ、少しずつ・・・見えてくるものがあります。
    それは、
    「私って・・・」
    という、気付きです。
    DV加害者によって、覆い隠されてしまった、自分自身の姿が、浮かび上がってきます
    どうぞ、その瞬間が訪れますことを心からお祈り申し上げます
    ゆっくりと時間は掛かりますが、「自分」は諦めないで、「私自身」を待っていてくれます。
    今日も読んで下さり、ありがとうございました

    ドラマの話で恐縮なのですが「ROMES 空港防御システム」で、主人公の成嶋さんが初めてトラウマを告白し、泣く場面があったのですね
    「良かったねえ、ようやく泣くことが出来たねえ・・・」
    と、私までもらい泣きしてしまったのです

    成嶋さんの告白と涙を見つめいた部下が、そこにいた、わけですよ
    その部下は、身体はって負傷してまで、成嶋さんを銃撃から守った青年で
    成嶋さんを崇拝し、心酔し、滅茶苦茶憧れていて
    成嶋さんがテロリストに加担しているかも?って、流れになった時は、キラキラした瞳で、
    「絶対にあなたに、そんなことはさせません
    と、力強く宣言した青年なのです
    私は、もらい泣きしながら、
    私の代わりに、成嶋さんを抱き締めてよッシマムラッ
    と、アホなことを叫んだのですが
    シマムラ青年は、もちろんそんなことはしてくれませんでした・・・
    一人で泣いている成嶋さんも
    その彼のそばに、黙ったままいるシマムラ青年も
    カッコ良かったです
    最終回がいいと、ドラマ見て良かったなあ・・・と、しみじみ思います














    自分を取り戻す DVと向き合いながらパート2

    • 2009.12.15 Tuesday
    • 22:23

    寒さにやられまして、喉からくる風邪で発熱し、寝込んでいました
    今日から復活しました
    皆様も、北風にどうぞくれぐれもお気をつけて下さいね

    前回は、彼とのやりとりを書いて、中断してしまいました「自分を取り戻す」について、また書きたいと思います
    自分について、主観的な見方をしている点を見つけてみる・・・ということを前回、書きました。
    アドラー心理学を応用した子育ての本には、色々なキーワードが出てくるのですが、
    「足し算の子育て」
    を今回は、ご紹介します。
    私は、これを自分に置き換えてみました
    「足し算の子育て」
    というのは、
    「ウチの子は、アレも出来ない、コレも出来ない」
    と、出来ないことに注目して批判するのではなく。
    「ウチの子は、アレも出来るし、コレも出来るわ」
    と、出来ることに注目するという考えです。
    例えば、ご飯を食べている子供が、座らずにウロウロ歩いたり、余所見をしてポロポロこぼしてしまう時は、誰でも注目してしまうと思います
    「こら、ちゃんと座って
    「ちゃんと手元を見て!余所見しない
    と、お小言が出て当然です
    「もう〜なんで、ご飯くらいきちんと食べられないのぉ
    と、愚痴の一つも出てしまう場面です
    しかし、考えてみて下さい。
    365日、そうではないはずです。
    奇跡的に・・・とはいかなくても、時々は、座って食べている時もありますよね?
    こぼさずに集中して食べている時もありますよね?
    そういう時こそ、注目をするのです
    「え?それは、当たり前のことでしょ?」
    そう、当たり前と思っていることが、当たり前じゃない
    まず、そこに気付くことが大事なのです
    すごいことだよ、立派だよ、素敵だよ、感心しちゃう、偉いねえ、嬉しいなあ、ご飯をちゃんと食べてくれて、どうもありがとう、顔が綻んじゃう。
    そう言われると、子供は嬉しくなります
    座って食べることは、こんなに注目されることなんだ・・・と、気付きます。
    ウロウロ歩いたり、ポロポロこぼす時に注目される時よりも、嬉しい気持ちでいっぱいになる注目です。
    で、これを実践すると、子供も嬉しくて輝いてくるようになりますが、お母さんが激変します。
    「あら?ウチの子って、こんなに色々ちゃんと出来る子だったんだわ・・・」
    と、気付いて驚くのです。
    起床して、顔を洗い、着替えをし、トイレへ行き・・・日常の出来て「当たり前」と思っていることで、それらが出来た時に注目するようになると、「出来ない」よりも「出来る」ことが多いことに気付くのです。

    私は、これを自分にも試してみました
    つまり、出来ないことに注目するのではなく、出来ることに注目するようにしたのです
    例えば、私は外へ働きに出ることが出来ません
    病気も治る気配がないし
    彼との関係も中途半端なような気がして、自分を責めてしまいます
    子供に対しても愛情すべてを注いであげたくても、心身の状態によって、100%出し切れないことも多くあります
    「出来ないリスト」を作り出すと、止まらなくなります
    この思考を一度ストップさせ「出来る」ことに注目してみたのです
    初めての方は、是非、書き出してみて下さい。
    「毎日、朝、起きている」
    「子供にご飯を作っている」
    「お洗濯を必ずしている」
    「内職の締め切りを守っている」
    「家計簿と日記を時々さぼりつつも、続けられている」
    「お風呂に入り、清潔を保っている」
    「親切にされた時、ありがとうございますと言える」
    「悪いなと思った時、ごめんなさいと言える」
    「空が綺麗だな、とか分かる」
    「薬をきちんと飲み続けている」
    すると、あれ?あれ?あれ?と、自分でも、段々気持ちが柔らかく柔らかくなり、ポカポカ温まってきました。
    「結構、出来ている?私・・・・・」
    と、自惚れていい段階です、ここは
    そのためのワークでもあります
    「こんな何も出来ない私、決断さえ出来ない私、生きていていいのか?」
    と、落ち込むこともある私ですが、このワークをやった時、とても心が救われた気がしました。
    出来ないことだらけの人生に見えた、私の人生に・・・ちゃんと足跡や風景が、おぼろげながら見えた気がしたのです
    もうこうなると、調子ぶっこきが止まりません
    「トイレに我慢せずに行けた」
    「寒さを我慢せずに、ホットカーペットをつけた」
    「もったいないからと我慢していた、栗原はるみさんプロデュースの市販デザートを購入し、食べた。美味しいと感じられた」
    などなど。
    自分を甘えさせるモノまで、付け加えていっちゃいます
    そして、気付くのです。
    「良かった・・・少しずつ、ちゃんと、自分を大切にしようとする感覚が戻ってきているんだ・・・」
    と。
    嬉しくて、涙が出ました

    悲しいことは、DV被害が、これだけでは簡単に消えないということです・・・
    ここまでようやく浮上しても、再び何かが起これば、あっという間に奈落の底へ叩き落されてしまいます
    浮上しては、殴り落され
    浮上しては、打ちのめされ
    浮上しては、蹴り転がされ
    いつしか、浮上する力がゆっくりとゆっくりと消えていくのではないか・・・という恐怖は、常に在ります
    しかし、諦めたら・・・そこで終わりです
    少なくとも、浮上する高さを少しでも上げて
    落とされても、底に落ちないでいられるレベルにすることが出来たら・・・と、思うのです
    (もしくは、もっともっと高さを上げて、攻撃を交わす、もしくは、届かないレベルになりたいです・・・ううっ

    今日も読んで下さり、ありがとうございました
    皆様も、寒さにはくれぐれもお気をつけて下さいね

    栗原はるみさんのデザートシリーズは、定番のパンナコッタも美味しいですが、抹茶プリンにレモンソースをかけるのも美味しかったです
    今は、カフェプリンにベリーソースが出ているそうです
    私は、バナナプリンが忘れられません・・・ウットリ
    しかし、肝心のソースが何ソースだったか忘れてしまいました
    す、すみません









    自分を取り戻す DVと向き合いながらパート3

    • 2009.12.17 Thursday
    • 14:39

    アドラー心理学の子育ての本に三大禁句が出てきます。
    .瀬
    △んばれ
    A瓩
    これを読んだ時、私は、
    「母親として、言いがちな言葉なんだよねえ」
    という感想と同時に、
    「これ、鬱病の人も言って欲しくない言葉ばかりだよ〜」
    と、思いました
    鬱病になると、
    「ダメ」
    と言われると、自分自身へのダメ出しが止まらなくなりますし
    「がんばれ」
    と言われると、苦しくなり涙が止まらなくなりますし
    「早く」
    と言われると、もうどうしていいのか・・・焦りともどかしさで、パニックになってしまいます

    この経験は、DV被害に遭い心身症を患ったおかげで知ることが出来た大切なことだと、感謝しています
    おかげで、子供に対して、これらの言葉を極力使わないでいられます
    自分が言われて辛い言葉であると同時に、使うことも躊躇う種類のものなので、よっぽどのこと・・・それこそ、子供から、
    「うんどうかい、がんばれって、おうえんしてね」
    と言われなければ、使わずに済むからです
    子供に使わないようにすると、他の言い方にしなければと工夫するので、子供とのコミュニケーションも増えます。
    また、自分が言われて辛い言葉を知ることも出来たので、人に言われた時、
    「ごめんなさい。病気もあって、今、その言葉を言われると辛いの。言わないでおいてくれる?心配してくれる気持ちは伝わっているから、ありがとう」
    と、パニックになる前に説明することも出来るようになりました(ただし・・・いつも、ではないですが)。

    そして、自分への応用編です。
    そう、自分自身に対しても、三大禁句にしてしまうのです。
     峪笋蓮△發Ε瀬瓩澄廚隼廚錣覆
    ∋篌身に、「もっと頑張れ!」とか、「まだ頑張れるはずだ!」とか、「私さえ頑張れば・・・」とか、求めない
    「早く何とかしよう」と、自分を焦らせない
    何度も書いちゃいますが、DV被害に遭い、生きてみえること
    これだけで、物凄いことなのです
    滅茶苦茶、頑張って頑張って頑張ってみえることなのです
    生きているのが不思議なくらいのことなのです
    砂漠や密林、大海原、それらの苦難の冒険を乗り越え、頑張って努力して、ようやく行き着いた先がDVという名の戦場だった・・・という、とても過酷な人生を歩んでみえたのですから・・・
    もう、そこにみえるだけで、それだけで十分なのです
    本当に、今、生きて、このブログを読んで下さり・・・ありがとうございます・・・と、思います
    心から、思います
    あなたが、生きていて下さって・・・本当に良かったと、心から思います
    ですから、ご自分にも、どうか三大禁句を是非、設けてあげて下さい

    私は、色々な人に助言を貰う度に、泣き崩れて・・・今までの人生を後悔し、自分を責めました。
    言われる方々は心から心配して、本当に色々なことを助言します
    「もう諦めて、別れなさいよ」
    「子供一人なら、母子家庭でやっていけるはずでしょう?」
    「いやいや、病気なんだから、別れても困るでしょう。信じて、待ってみなさい」
    「それよりも、DV、DVって、特別なことだと思わずに。肩の力を抜いて、世間の人も大なり小なりみんな、色々抱えているんだって、思って、ね?」
    「どうかなあ・・・弱さが、すべての原因なんだから。強くなればいいことだよ。ゆっくりでいいから、強さを持ちなさい」
    「それよりも、夫婦はお互い様でしょう。ご主人だけ悪者にしないで。自分のことも省みてね」
    「っていうか、いい子でいようと、一人で抱え込み過ぎたんだよね。完全主義はやめて、気楽さを持った方がいいと思う」
    「いいや、その依存体質を改善した方がいい。自立を目指して。人の言うことを気にしたり、人を頼ることはやめて、頑張りなさい」
    彼をパートナーとして選んだ自分
    彼の子供を欲した自分
    彼から受けた行為がDVと知っても、決断できない自分
    何もかも、すべての自分が「ダメ」だと思い、「ダメ」な自分を消したいと思いました
    もしくは、「ダメ」な自分なんだから、「もっと頑張らなくては」と思いました
    そして、「早く」決断しなくては、「早く」病気を治さなくては、「早く」自立しなくては、「早く」何でも出来るようにならなくては、「早く」お金を稼がなくては、「早く」「早く」「早く」・・・・と
    壊れたロボットのように、「ダメ」と「頑張れ」と「早く」を繰り返し、自分を追い詰めていました。
    そういう時期もあると思います。
    それでも、そこばかりにいては、辛くなるばかりです
    絶望しか見えず、このまま暗闇しかないのではないか?と、うつろな目でぼんやり思う日々が多くなるばかりです
    少しずつ、少しずつ、少しずつでいいですから。
    せめて、自分自身に対して、三大禁句を使っていきましょう。

    「色々言う人はいるけれど、それは、私がダメってことじゃない」
    「私は、ダメじゃない」
    口に出すだけでも、気分が変わります。
    ご自分自身に聞かせてあげて下さい。
    「私は、ダメ出しされる存在じゃない」
    そう、宣言してよいのです
    頑張る必要は、ありません。
    もう十分頑張ってみえたのです。
    「頑張っているよ、私」
    と、呟いて、泣きたい時は思い切り泣いて下さい
    あなたが十分頑張ってみえることは、私を含め、DV被害に遭った方すべてが知っていることです。
    すべての方が、共感できることです。
    だから、もうご自分に「頑張れ」と強要する必要はないのです。
    頑張りたくないなら、力を抜いていいのです。
    やりたいこと、身体が動くこと、心が欲することから始めていいのです。
    「〜しなきゃ」「〜できなきゃ」「〜すべきなのに」と、ご自分を追い詰めなくていいのです。
    出来ないものは、出来ない。
    頑張れないものは、頑張れない。
    そう言う権利も、選択する権利も、あなたに在って当然のものなのです
    「早く、早く」
    と、ご自分を追い詰める必要はないのです
    ただ・・・DV加害者が恐くて恐くてたまらなく、命の危険を感じるのでしたら、我慢せずに避難していいのです。
    そういう場合は、「早く早く」と、ご自分の魂がSOSを発してみえると思いますので、その声に耳を傾け、あなたのために避難して下さい。
    今は恐いけれども、大切な伴侶であるパートナーのためにも、避難してあげて下さい。
    パートナーが取り返しの付かないことをする前に、あなたがそれを回避する行動を取られることは、とても大きな勇気であり、優しさでもあると思います。
    そういう場合ではなくて、
    「周囲に色々言われるから、早く決断しなくちゃ」
    「どうしていいのか分からないけれども、とにかく早く決めなくちゃ」
    「早く、この状況を何とかしなくちゃ、私が変えなくちゃ」
    「早く具合を良くしなくちゃ」
    「早く仕事を見つけなくちゃ」
    という、焦りや不安からくる「早く」「早く」は、ストップしていいのす
    DV被害に遭うと、その人自身のスピード、心地よい速度というものが失われます
    DV加害者に、合わせなくてはならなくなるからです
    これは、とても辛いです
    ブレーキをかけたくても、かけることを許されなかったり。
    ドライブインで休みたくても、休むことを嫌がられたり。
    ガソリンを給油したくても、勿体無いと急がせられたり。
    急ぎたい道をゆっくりゆっくり走るように求められたり。
    ゆっくり走りたい道を急げ、急げと、追い立てられたり。
    自分のペースというものを見失い、毎日を過ごすことになります
    その奪われてしまった、ご自分のペースを取り戻してからでも、遅くはないのです。
    ご自分のペースを思い出してから、
    「これくらいの早さなら、いいかな?」
    という感覚を確かめながら、コトを進めた方が、ずっと気持ちが楽になります
    それまでは「早く」を求めなくていいのです

    偉そうに色々書いていますが、一番、これらを実践すべきは、私自身であります
    隙あらば、自分にダメ出ししようとするし。
    少し元気になれば、まだ無理と分かっていても、頑張ろうとするし。
    焦りが生じると、早く、早くと、自分を急かしたくなってしまいます。
    自分に優しい人間になりたいなあ・・・と、心から思います

    今日も読んで下さり、ありがとうございました
    やけに寒いなあ・・・まだ、風邪が治り切っていないのかな?と思い、ふと、室内温度を見たら、10度切っていました・・・
    日差しが差していても・・・さすが、12月・・・
    今、慌てて暖房のスイッチを入れました
    どうか、皆様も冷え込みにくれぐれもお気をつけて下さいね
    ああ、さぶかった・・・










    自分を取り戻す DVと向き合いながらパート4

    • 2009.12.18 Friday
    • 12:02

    アドラー心理学の子育ての本に、必ず出てくる言葉が、
    「I(アイ)メッセージ」
    です。
    言葉を伝える時、
    「私は〜」
    で、始めるというやり方です。
    子供がコップのお茶をこぼした時
    待ち合わせに遅れそうなのに、モタモタしている時
    「あ〜ん〜た〜はぁ〜、どうして、そうなのかなぁ〜
    と、ムラムラとわきあがる言葉をグググッと抑え。
    「お母さんは、お茶をこぼされて、悲しいよ。せっかく飲んでねって、置いておいたのに」
    「お母さんは、とても焦っているよぉ、遅れちゃうよぉ!お母さん、叱られるのは嫌だよぉ」
    と、いう言い方にしてみるのです。
    驚く程に、子供の反応が変わります
    「ごめんね、でも、わざとこぼしたんじゃないんだよ?ごめんね、こんどは、ぜんぶのむから」
    「うわあ、それは、はやくしなくちゃ!」
    と、うまくいく時は、いきます
    子供が相当不機嫌だと、
    「わざとじゃないもん、おちゃ、きらいだし!」
    「おかあさん、しかられれば?」
    と、返ってきて、余計にカチーン!となったりもしますが、本当に稀です。
    不思議なことに、
    「私は〜」
    に言い方を変えると、相手の反応は変わります

    で、自分への応用編です。
    私は、このワークの部分を読んだ時、しみじみ今の自分だなあ・・・と思いました
    「私はこう思う」
    と、自分の意見を伝えるのが、「I(アイ)メッセージ」
    ですが
    「お前はこうしなければならない」
    「あんたはこうすべきだ」
    「君は〜だよね」
    「あなたは〜な人だ」
    という断定調の言い回しが「YOU(ユー)メッセージ」です
    誰だって一方的に決め付けられたら、反発したくなりますよね
    最初は反発して、そのうちあまりにもそれが続くと、悲しくなり、少しずつ諦めていくのだと思います
    世の中には「YOU(ユー)メッセージ」が、とても溢れています
    相談すれば「YOU(ユー)メッセージ」が返ってくる可能性は、大です
    DV被害に遭い、自己肯定感がものすごぉーく低いところへ、コレをやられると・・・
    「ああ、やっぱり・・・私は、そうなんだ・・・」
    と、また一つ、自分を諦めてしまうことが多いのです
    そういうことから防御するためにも「I(アイ)メッセージ」を知ることは、とても大きいと思います
    「私は、こう思うのです」
    「私は、こう感じているのです」
    と、素直に言葉に出すことで、閉じ込められ瀕死の状態の本来の「自分」に、が差します
    「言っても無駄だから」
    「伝えても意味ないから」
    そう思われる程に、辛いことは分かります。
    相手によっては、伝えないことの方が安全なこともあるでしょう。
    それでも、諦めずに「私の意見」「私の思考」「私の感覚」を伝えることは、「自分自身」を救うことにつながります
    「見捨てられていなかったんだ・・・」
    と、「自分自身」に教えてあげることが出来ます
    さんざん、DV加害者「YOU(ユー)メッセージ」で痛めつけられた、ご「自分」にどうか、光を差してあげて下さい

    もう一つの大事なことは、
    「具体的に伝える」
    です。
    DVが生じると、あいまいな表現が増えます
    何故か
    ズバリなことを伝えると、DV加害者がキレることが多いからです
    遠回しに探りを入れ、あいまいな言葉で伝えることが「普通」になります
    また、DV加害者の多くは、
    「察してくれること」
    を当然のように求めるので、具体的なメッセージを発することが、段々少なくなります
    これも、あいまいな表現のコミュニケーションが増える要因です。
    ズバリ具体的なことを言わなくても、相手はすべてを悟って当然だ、自分は王様で相手は下僕なのだから・・・と考えているDV加害者
    ズバリ言えば何かが起きてしまう不安があるので、具体的な言い回しを避けるDV被害者
    よって、とてもあいまいで、フワフワな遠回し表現が多い世界が作られてしまいます
    DV被害に遭うと、その世界観を持続させたまま、他者とのコミュニケーションを取らざるを得ないことが多いので、ここでもまた苦しみます
    例えば、都合が悪くて用事を断わりたくても、DV被害者はその伝え方のスキルを忘れてしまっています。
    見失い、途方に暮れています。
    覚えて、学習していることは、DV加害者に対するコミュニケーションです。
    ですから、そのやり方を使ってしまいます。
    「あの・・・頼まれたことなんだけど、本当にいつもありがたく思っているの、本当よ?だから、是非協力したいなあとは思っていて・・・それだけど、その・・・私には荷が重いっていうか、少し無理かな?って、思っていて・・・でも、断わると悪いかな?とも思っていて・・・」
    願うのです、この辺りで、相手が察してくれないかなあ?とか。
    断わりたいと伝わっているといいなあ・・・とか。
    で、相手の方は、
    「なあに?ハッキリ言ってくれないと分からないよ。迷惑ってこと?やりたくないなら、最初からそう言えばいいでしょ?」
    「そうなの、断わられると、私も辛いのよ。荷が重いなんて、とんでもない。負担に感じるところは、私がカバーするから、大丈夫!協力してくれて嬉しいわ」
    「すみません。何が言いたいのか、サッパリ分かりません。ムカつくんですけど、どうしてそんなに卑屈なんスか?」
    と、それぞれの考え方で、受け止めて言ってきます。
    で、またその言葉に傷付く・・・と。
    そして、そんな自分をまた責めてしまう・・・と。
    辛いですよね
    本当に辛いことです
    卑屈になりたくてなっているわけではないのです
    他の言い方が出来ないようにプログラムされてしまっているのです
    忘れてしまっているだけなのです
    伝えたい「自分」が、見つからないのです
    それは、とてもとても辛いことです

    ですから、まず、「自分」を見つけてから、伝えていいのです。
    返事の即答を待ってもらい、「自分自身」の思いや考えを探します。
    依頼されたことを引き受けたいか?
    それとも引き受けたくないのか?
    「今は、引き受ける余裕がない」
    では、断わるか?
    「でも、断わる自信がない」
    では、スキルを使ってみましょう。
    「I(アイ)メッセージ」と、「具体的に伝える」という二点
    「ごめんなさい。私は、そのお願い受けられないわ。自分の心身の状態がまだ、そういうことを出来る余裕がないの。せっかく声を掛けてくれたのに、ごめんね」
    相手が、どう受け止めるかは、相手の考え次第です。
    自分で出来る限りのことはやり、伝えました
    今は、これだけでいいのです
    やりたい気持ちがあるのでしたら、余裕が出来た時に、自ら協力を申し出て一緒にやればいいのですし。
    今この時に、
    「元気になったら、一緒にやるね」
    と、伝えておいてもいいのです。
    やりたくないのでしたら、そのままでもいいのです。

    少しずつ、少しずつ。
    暗闇に閉じ込められている、ご「自分自身」に、を当ててあげて下さい。
    そのために「I(アイ)メッセージ」「具体的に伝える」ことを心掛けてみて下さい。
    少しずつでも実践していくと、しおれてピンチだった花が、少しずつ元気になるように
    あなたの中にある、「自分自身」が、蘇っていきます
    少しずつ、少しずつ。
    もう一度、光を注いでいきましょう
    私も、諦めずにやっていきます

    ふと、思ったのですが
    今度、彼が「YOU(ユー)メッセージ」をしたら、はるな愛さんの真似をして、
    「ユーメッセージ、ゆうよねぇ〜
    と、言ったら、どんな顔をするかなあ
    よし、やってみよう

    今日も読んで下さり、ありがとうございました
    ものすごぉーい北風が吹いております・・・。
    皆様、くれぐれもお身体お気をつけて下さいね








    自分を取り戻す DVと向き合いながらパート5

    • 2009.12.21 Monday
    • 12:51
    冷え込みが厳しくなってきました
    が、ベランダの花は元気に咲いていました

    アドラー心理学の子育ての本には、褒め方と叱り方についても書かれています。
    褒め方といっても、上から目線で、
    「よくやったね」
    「いい子、いい子」
    「そうそう、それでいいのよ

    という褒め方ではないのです。
    アドラー心理学の特徴で注目すべき点は、褒めるにしても、叱るにしても、必ず「勇気づけ」を伴うことを、主張している点です。
    親がいつもいつもそばにいて、守ったりフォローしてあげられるわけではありません
    アドラー心理学では、子供が一人で困難な状況にぶつかった時、怯みながらも問題解決へ取り組むことが出来る勇気を育てることが、子育てにおいて、一番大事なことだと伝えています。
    それは、突き放して、
    「一人で生きていかなくちゃいけないなんだから、今から自分で頑張れ」
    と、背を押すことでもなく。
    「いつか一人で頑張らなくちゃいけない日がくるんだから、お母さんが全部教えて、全部選択を考えてあげるからね」
    と、囲うことでもなく。
    人生には、楽しいことも苦しいことも色々あるけれども、自分が人生を諦めずに問題を解決しようと取り組んで、前進していけば、必ず何とか道は切り開いていけるよ。
    あなたは、あなたの力で、きっと生きていけるよ。
    と、親が時には伝え、時には教え、そして親がそうやって生きていることで、自ずと感じられるようにしていくことだと、語られているのです

    大抵、子育ての本を読むと、
    「褒めて育てよう」
    と、書いてあることが多いです。
    「そうすると、自己肯定感が育ちます」
    と、続いて書いてあることも多々あります。
    私は、こういう本を読む度に、”その通りだ”、”イイコトが書いてある”と思いつつも、
    「母親の私の自己肯定感が、ゼロに近いんじゃぁ〜〜〜〜〜〜〜ッ!こっちが、誰かに褒めて欲しいくらいじゃぁ〜〜〜〜〜〜ッ
    と、本を投げ捨てたい気分でした
    「問題から逃げない子供にするためには、お母さんの勇気付けが必要です」
    と、書いてあったりすると、
    「だから、私が勇気付けて欲しいんじゃぁ〜〜〜〜〜ッ
    と、本をオーバーヘッドキックで蹴り飛ばしたい気分でした
    「お母さんの明るさと笑顔、楽観主義、前向きな態度が、子供に良い影響を与えます」
    と、書いてあったりすると、
    「だぁかぁらぁ〜〜、そうしたいのに、できないって言っているだろうぉがぁ〜〜〜〜〜ッ
    と、本にプロレス技をかけて、ギブアップさせたい気分でした

    DV被害に遭うと、自分を褒めることが、とても苦手になります
    責めることは得意になるのですが、褒めるとなると、
    「うっ・・・」
    と、息が止まるような感じになったりします
    「褒める」という言葉自体が、上から下へ「立派だ、優れている」とたたえる性質を持っているので、上から目線に敏感な私は、余計に苦手なのかも知れません。
    私は、未だ、夫の実家に行けません
    夫の実家に同居している1年あまり。
    彼は、精神的DVを容赦なく強めていきました
    まだ、DVと気付いていない私は、あまりにも無防備でした
    次から次へと出てくる問題を解決しようとがむゃしゃらで、彼がどんどん高さを上げていくハードルをこなそうと必死でした
    自分の心身の悲鳴に耳を傾けず、ひたすら彼へ集中していきました
    当時の彼は、私に対して心の中で、
    「よく出来たね、そうそう、それでいいんだよ」
    と、思っていたそうです
    「それでこそ、”奥さん”だ」
    と、目を細めていたそうです
    (ペットかい、私は・・・
    私は、彼とのコミュニケーションがうまくいかず、苦悩し、どんなに頑張っても報われない焦燥感がありました
    イライラしたり、涙が止まらなくなったり、いつも不安でした

    今でも、忘れられません
    彼の寝息が響くのが辛くて、寝室の窓を開けて飛び降りようとしたり。
    彼と家の周囲を散歩していて、彼が隣にいるのが嫌で、車の前に飛び出そうとしたり。
    辛くて苦しくて、無性に彼といるのが嫌になる瞬間があり。
    そういう時、発作的に身体が死へ向かう瞬間がありました
    当時は、
    「彼との意思疎通がうまくいかないから、私は彼へ当て付けのために死のうとしているんだ。何て、浅ましいんだろう。そんな弱くて汚いことを考えていちゃダメだ。そんな自分に打ち勝たなくては」
    と、自分をますます鼓舞していました
    今は、それだけもう・・・SOSを発していて、限界だったのだろうなあ・・・と、分かります。
    心だけでなく、身体も生々しく覚えています
    あの時、窓ガラスに手を掛けた時の掌の感覚。
    真っ暗な夜空と、明る過ぎるくらいの街灯、遠くに見えた車のライト。
    あの時、一歩踏み出した時、足に伝わった、アスファルトの路面の感じ。
    青い空に白く薄く広がった雲、黄色く染まった田んぼ、強い風。
    家の中も、生々しい思い出ばかりです
    彼が暴れた、居間。
    彼が暗い目をして、私を無視する時、必ず使用した椅子。
    あそこにいけば、私は・・・まだ、あの時に戻ってしまう気がして・・・行けません
    私は、そんな自分をずっと責めていました
    お義父さん、お義母さんに申し訳なくて、居たたまれなくて、消えたいと思ったこともありました
    しかし、最近ようやく、
    「アカンものは、アカンのだから、仕方ない。今は、お義父さんやお義母さんが優しく見守って下さっているのだから、いいや」
    と、思えるようになりました
    ここで無理をして、また死神に捕まる方が、周囲に迷惑を掛けてしまうし
    そうなれば自分も、とても辛いですから・・・
    電話や手紙、子供を夫に連れて行ってもらうことで、別の形の親孝行も出来るのだから、いいや・・・と、思うようになりました

    子育てワークからの応用は、自分を責めそうになった時の対応術です
    /由複錬法行動NO
    ⊃叱撞曚鮖芦
    「なぜ」と思うより、「どうしたら〜」と問う
    ぁ岼貉言語」を使う
    ,蓮◆屮瀬瓩世福∋笋辰董廖崋紊てどうしようもない」「逃げてばかりだよ・・・」と、自分自身を攻撃することをやめてみるということです。
    そのために、△凌叱撞杙芦鵑鬚泙此⊆孫圓靴泙后
    そして、は、
    「なぜ、こうなってしまったんだろう・・・」
    と、繰り返し自分を責めるのではなく、
    「どうしたら、いいのかな」
    と、思考の方向を後ろ向きから、前向きに変えてみます。
    い蓮◆屬發Α廖屬个り」「いつも」というような、永久言語を使わずに、「たまたま」「今回は」「こういう時もある」のような、一時言語を使うようにします。
    私の場合は、
    「ダメだな、私って。弱くてどうしようもない。逃げてばかりだよ・・・今度のお正月も、お義父さんやお義母さんのトコロへ行けない・・・。いつまで、こんなことばかりしているんだろう。いつまでも、このままなのかな・・・何で、こんな私のままなの・・・?」
    と、責めていました
    これに 銑い鮖遒澆討澆泙靴拭
    まず、深呼吸を三回してから・・・スゥーハァー、スゥーハァー、スゥーハァー
    「今度のお正月も、お義父さんやお義母さんに直接挨拶できないままになりそうだなあ。お会いできないのは、残念だし申し訳なく思うなあ。どうしよう。お電話だけでも挨拶して、作ったお料理を彼に届けてもらおうかな。今回はこうなってしまっただけで、次のお正月は、行けるようになっているのかも知れないし。いいよね、これで。こういう時も、あるよ」
    と、なりました
    いつもいつも、こういう具合にうまく応用できるといいのですが・・・

    私をペットのように彼は愛していた部分があったのだなあと思うと、彼の言動に、
    「おお、そうか
    と、気付くことがいっぱいありました
    ペットならば、調教しなくちゃと思うだろうし、可愛がりたい時可愛がって、後は知りませんということも許されると思ったのかも知れない・・・と。
    しかしペットに対して飼い主は大きな責任があるし、命を大事にすることは、どんな動物であっても当たり前のことです
    責任からは逃れたいが、飼い主としての威厳は欲しかった。
    ペットはあくまでも、飼い主のために生きるべきものだ。
    当時の彼は、そう思っていたのかも知れません。
    今はそうではないと、信じたい私です

    今日も、風が冷たいですね
    読んで下さり、ありがとうございました
    くれぐれも皆様、ご自愛下さいね














     

    自分を取り戻す DVと向き合いながら

    • 2009.12.24 Thursday
    • 12:59

    さて、今日は・・・私がとても苦手な分野について書きたいと思います
    アドラー心理学の子育てワークでは、ものすごく前の段階で実践を促しているのですが・・・申し訳ありません
    苦手で、大分後ろになってしまいました
    「子供を伸ばす褒め方」
    について、です。
    ここで問題とされるのは「褒め方」についてです。
    「人格」
    を褒めるのではなく、
    「行動」
    を褒めようというものです。
    例えば、「いい子だね」「優しい子だね」「可愛い子だね」と「〜子」と褒めるのではなく
    「いいことをしたね」「思いやりあることが出来たね」「とっても可愛い笑い顔で素敵!」のように、「〜こと」を代表とするように、「行動」に注目するというものです
    何故「人格」ではなく「行動」なのでしょう。
    それは「行動」を褒めることは、
    「ああ、私、いいことをしたんだ」
    と、自分の行いに自信を持つことが出来る「勇気付け」に結びつくからです。
    しかし「人格」を褒めてしまうと・・・どうなるのでしょうか

    例えば、お気に入りのおもちゃで遊んでいた子供が、他の子に、
    「それ、つかいたい〜かして〜」
    と、言われた・・・と、します
    お母さんが気が付き、
    「あらあら、お友達におもちゃを貸せるかな?」
    と促して、子供が、おもちゃを貸した時。
    「まあ!おもちゃを貸して、エライね。優しいこと出来たね!〇〇くんに感動で、ギュッしちゃう!」
    と、お母さんが褒める場合と。
    「まあ!何ていい子でしょう!〇〇くんは、本当に優しい、お利口さんな子ね!」
    と、褒める場合では・・・子供の受け止め方が違ってきます。
    前者の場合は、
    「おもちゃをかすことのできた、ぼくって、そんなにすごいんだ。おかあさんに、ギュウまでされて、なんかとってもうれしいな」
    と、思うでしょう
    後者の場合は、
    「そうかあ・・・”おもちゃをかすこ”は、”いいこ”で”やさしいこ”で”おりこうさんなこ”なんだ。そうすれば、おかあさんは、こんなによろこんでくれて、ぼくのことをほめてくれるんだ」
    と、思うでしょう
    そして、両者の違いは、後の子供の言動を大きく左右する可能性があることです
    前者の褒め方をされた子供は、自分に対して勇気付けられ、自信を持つことが出来ました。
    お母さんが見ていないところでも、自分が貸してもいいと思った時は、他の子におもちゃを貸すことが出来るでしょう
    また、人に親切にするということの芽生え、友達と遊ぶということの嬉しさも、徐々に育っていくと思います
    が、後者の褒められ方をした子供は、「いい子」と、褒めてくれる「お母さん」が、いないトコロでは、貸そうとしなかったり
    「お母さん」に「優しい子」と言ってもらいたい一心で、どんなに大切でお気に入りのおもちゃでも、お母さんが見ている時は、我慢して貸す子供になったり
    「お母さん」に「お利口な子」と褒めてもらいたいがために、自分の持っているおもちゃを他の子に手当たり次第渡そうとし、その子が、
    「いらない」
    と言っても、無理やり渡そうとして、受け取らないと怒り出すようになったり
    そういうことが、生じやすくなってしまうのです
    私は、この箇所を読んだ時、とても納得してしまいました
    自分も子供の時、
    「〇〇な子だね」
    と言われると、その枠の中にはめられた気がしたかも・・・と、思ったのです
    大人になっても、こういうことはありますよね
    「〇〇な人だよね」
    と、なると、そこにピシッと入れられて、そこからはみ出ることが悪いような気がするというか。
    自責感や罪悪感が、生まれやすくなる表現だと感じます

    アドラー心理学の子育てワークでは、他に子供を褒める重要なポイントとして、
    )める時は、永久言語を入れる
    究極の褒め言葉は、「お母さん、嬉しい!」「お父さん、嬉しい!」
    7覯未茲螢廛蹈札垢鯔める
    と、あります
    ,蓮◆屬い弔癲廖屬曚箸鵑鼻廚箸いΔ茲Δ文斥佞鯑れて、褒めるというやり方です
    「いつも宿題、自分で出来て、えらいね」
    「ほとんど出来たね、立派だわ〜」
    △蓮∋匐,一番嬉しいと感じるのは、大好きな親、家族の笑顔であり、喜びであるということです
    子供のそういうトコロは、本当にありがたいです
    ただ、親ってだけで愛してくれるのですから・・・
    は、注目すべきは「結果」ではなく、そこに至るまでの「プロセス(過程)」にしましょう!というものです
    かけっこで一等賞を取った子供に対して、
    「一等賞を取って、すごいわ
    と、褒めることは素敵なことです
    しかし、そこに注目するのではなく、お母さんは、客観的に「一等賞を取って喜ぶ子供」を見て、喜び褒めましょう・・・と、いう考え方です
    「よく頑張ったね。あなたが嬉しそうで、お母さんも、嬉しいよ」
    ここで大切なのは、「一等賞を取ったあなた」が嬉しいのではなく、「努力が実ったと喜ぶあなたを見られること」が、嬉しいと感じ、伝えることです
    そうでないと、
    「一等賞=自分」
    と、子供が思い込み、常に一番を取らないと愛されないと、勘違いしてしまいます
    二等だろうが、最後になろうが、リタイヤしようが、そこまで頑張ったことには変わりはないのです。
    「最後まで諦めずによく頑張った、あなたが素敵」
    と、プロセスに注目し、褒めることが、何よりも子供への「勇気付け」になるのです

    で、これを自分自身に当てはめると・・・どうなるのかなあ?と、思いました
    で、自分を「褒める」というよりも「勇気付ける」気持ちで「行動」に着目してみました
    「朝、起きました」
    「ゴミの日なので、分別ゴミを出しました」
    「冬休み預かり保育のお弁当を作りました」
    「朝御飯を作り、子供と一緒に食べました」
    「子供を送って来ました」
    「掃除をしました」
    「カフェオレ飲んで一息つきました」
    これらを「〇〇な人」で褒めるとすると、
    「子供の世話して、ちゃんとやっている人ね」
    「掃除して綺麗好きな人ね」
    「自分で休憩時間を確保して、しっかりしている人ね」
    と、なります。
    これは、キツイですね、私には・・・
    今は、たまたま出来たことだけれども、出来ないことがあったら、「ちゃんとしていない人」になるし、「綺麗好きでない人」になるし、「しっかりしていない人」になったと感じてしまいます
    では、今度は「行動」に注目します
    「朝、起きたこと、頑張ったなあ」
    「分別ゴミ出して、エライなあ」
    「お弁当作ったこと、すごいよ」
    「朝御飯、子供と一緒に食べられたこと、良かったね」
    「子供を送ったこと、お疲れ様」
    「掃除をしたこと、サッパリして嬉しいね」
    「カフェオレ飲んで、ホッと出来たこと、最高です。ありがとう!」
    と、褒めやすくなります
    で、しこりも残らず、次回へのプレッシャーも感じずに済みます
    これをさらに進化させて、永久言語を入れたり、「私は嬉しい」を取り入れたり、「結果」よりも「過程」を重視するようになると・・・。
    「いつも、頑張って何とか生きているなあ。でも私は、そんな私が嬉しいよ。よくぞここまで快復してきたと思う。ここに行き着くまでの大変なこと、いっぱい乗り越えて、いっぱい泣いて、いっぱい沢山の方々に支えられて、本当に良かったよねえ。そして、そう感じられる私が、また嬉しいよ!」
    と、なるでしょうか
    まだ、何かぎこちない感じがしますが、これが今の私の精一杯みたいです

    次回は、「勇気付け」について、書きたいと思います
    今日も読んで下さり、どうもありがとうござました
    今日は、サンタクロースのおかげか、少し暖かい日となっていますが、皆様どうか心身お大事にして下さいね










    自分を勇気づけるために DVと向き合いながら パート1

    • 2009.12.25 Friday
    • 15:02

    私は、自分で自分を勇気付けることが出来る人を羨ましいと思います
    そして、とても憧れます
    少し前ならば、妬んだり
    もっと前ならば、憎んだかも知れません
    多分、DV被害に遭う前の「私」ならば、持っていたものだと思います
    しかし、今の私は、心から乞い、焦がれるものです
    どうして、「勇気付ける」ことが出来なくなったのか?
    「今の私」と「前の私」の違いは、何なのか?
    DV被害に遭い、心身に病を抱え、自己肯定感がゼロに近くなったからなのか?
    病だから、自己肯定感がゼロだから、コミュニケーションに自信がなかったり、外の世界が怖くてたまらないのだろうか?
    そのために彼以外の男性であっても近付くだけで、滅茶苦茶緊張してしまうのだろうか?
    何か言われそうになると、「あ、叱られるかな?」と構えてしまうのは何故だろうか?
    これらがすべて、病気と自己肯定感の低下のせいなのだろうか?
    ならば、どうしたら・・・これを何とかすることが出来るのだろうか?
    この苦しくて辛くて暗いトコロから、いつか抜け出すことが出来るのだろうか?
    心の奥底の止まらない涙が止まる時が、来るのだろうか?
    いつか、安心して・・・心から笑うことが出来る日が来るのだろうか?
    生きていて良かった・・・と、安らかに寿命を受け容れる時が、いつかいつか来るのだろうか?
    考え出すと、キリのない苦しみが続きます
    未来は、光があると信じたいけれども、トンネルはまだ続きます
    トンネルを抜けたと思うと、またすぐに新たなトンネルが現れたり
    その度に、絶望を感じ
    それでも・・・と、歩き出す。
    そうするしかない、から・・・ですが。
    ですから、歩いている・・・という感覚ではなく、「歩かされている」ような感じです
    だから、すぐに疲れてしまいます

    アドラー心理学の本を色々読んでいて、
    「うわ・・・」
    と、感じた箇所がありました
    人生は快適なことばかりではありません。
    有名な「水戸黄門」のテーマソングでも、「人生楽ありゃ、苦もあるさ」とあるように、苦手なこと、怖いこと、嫌なこと、悲しいこともあります。
    そういう時、それらの壁にきちんと向き合い、その問題を解決するために行動することが出来る人間を育てることが、育児や教育のテーマだと思います。
    そして、人生のテーマでもあると感じるのです。
    しかし、壁に背を向けたり、問題から逃げる人もいます
    そういう人は、自分で対応しなくても、親や周囲が代わりに何とかしてくれたり
    始めから自分で動こうとせず、誰かがやってくれると期待してそのままでいたりします
    また、自分を優れていると見せかけるために、すべてのエネルギーを注いでいる人もいます
    とても興味深いので、引用しますね

    「自分を実際よりも優れているように見せるという優越コンプレックスは、それを持つことによって、結局のところ、取り組み解決しなければならない自分の課題を克服するどころか、そこから逃避する方向に作用することになる。
    アドラーは、優越コンプレックスは、劣等コンプレックスを持った人が困難を逃れるため使う方法だといっている。
    自分が優れているように見せることで、ついには現実の自分が自分について他者から期待されると思っている像からあまりに乖離すると、優れようとすることそれ自体までも放棄することになる。
    あるいは、乖離が理想追求を断念させるのではなく、断念するために、とうてい現状の自分が達成できない理想を立てるということもできる」
    (「アドラーに学ぶ 生きる勇気とは何か」岸見一郎著、株式会社アルテ、2008年、P.43、10行目より)

    周囲の目ばかり気にして、背伸びして、自分を実力以上に見せよう、見せようとばかりしていると。
    見せることに疲れて、努力して理想に近付くことそのものを”やぁ〜めぇ〜たぁッ”と、諦めたり。
    最初から努力することを諦めて、とっても高い理想や目標を打ち立てて、”努力はしているし、頑張っているんだけど、追いつかないんだよね・・・”と、言い訳大魔王の”言い訳”の”口実”をせっせと製造したり、と。
    こういうわけ、ですね。
    アレ?何か、思い当たる方が・・・アレ?
    こうして、人からよく見られよう・・・ということばかりが先行し、それがすべてになって。
    化けの皮が剥がれたくないからと、解決すべき問題からは逃避し、困難から背を向け、自分自身の力で何も克服しようとしない、努力からさらに遠ざかる人生を・・・選び、進んでいってしまうのかも知れませんね。
    しかし、中には仮面の向こうの本当の姿を見抜く人も出てくるでしょう。
    また、いつもいつも望むような賞賛の声や、高評価が降り注ぐ・・・という保証は、人生にはありません。
    短い付き合いならばまだしも、深い長い付き合いになれば、
    「あれ?口先だけ?」
    と、気付く人も出てくるでしょう。
    では、こういう思考の人は、どのような人間になっていくのでしょうか?

    「しかも、自分の期待を満たしてくれない人に失望することに留まらず、そのような人を始めとして、まわりの人は、アドラーの言葉を使えば、自分にとって敵であると考えるようになる。
    まわりの人を隙があれば、自分を陥れようとする人と見なすならば、そのような人との関係を回避するか、少なくとも、積極的に関わりたいとは思わなくなるだろう。
    しかし、まわりの人を責めずに、自分さえいなければ、皆はうまくやっていけるだろうと思う人もいる。
    その場合も、他者との関係を回避することになる」
    (「アドラーに学ぶ 生きる勇気とは何か」岸見一郎著、株式会社アルテ、2008年、P.44、6行目より)

    私は、この箇所を読んだ時、しばらく動けませんでした
    自分の心の奥底に、何か、矢が突き刺さったような感覚でした
    それは、グサリと傷付いた・・・という感じではなく、
    「コレ、ココにいるよ」
    と、矢印で指摘された感じだったのです

    DV被害に遭うということ。
    それは、DV加害者の世界に巻き込まれ、飲み込まれるということです。
    大蛇に飲み込まれ、中で生かされたまま、閉じ込められ
    大蛇の目を通して世界を見て
    大蛇の皮膚を通して、世界を感じ
    大蛇の舌を通して、世界を味わい
    大蛇の耳を通して、世界を聴く
    そう、私は、
    「この世界は、敵で溢れている」
    「他者は、私を認めてくれない敵だらけ」
    と、気付かないうちに、変わっていたのでした
    どうして、時に泣ける程に、外の世界が怖いのか。
    人が怖くて怖くてたまらなくなるのか。
    ささいな一言が突き刺さり、打ちのめされるのか。
    小さなことが気になり、イライラするのか。
    生きているだけで不安が押し寄せるのか。
    もちろん、病気もあるでしょう。
    でも、それだけじゃなかったのです。
    私は、この世界が、「敵だらけ」と・・・いつの間にか、信じていたのです

    マジ?怖い、怖すぎる、DVって
    と、オロオロし、パニックになり
    本を両手で、ガシッと掴み、
    「”生きる勇気とは何か”って、サブタイトル書いてあるくらいだから、このままで終わらないよねちゃんと、勇気を取り戻すポイントとか、敵思考から抜け出すヒントとか、書いてあるよね
    と、叫んでしまいました
    で、いやぁ〜なことを思い出し、本の「はじめに」を読み返してみました
    大抵、真面目な本って、「はじめに」書いてありますものね。

    「残念ながら、人の人生について「こうしなさい」と断定的に答えるテレビ霊能者のようなわけにはいかない」
    (「アドラーに学ぶ 生きる勇気とは何か」岸見一郎著、株式会社アルテ、P.6、7行目より)

    ・・・・・しばらく、突っ伏したまま、起き上がれませんでした・・・・・

    まあいいや、最後まで読もうと、読んだおかげで、こうして文章が書けているわけですので、決して何もヒントがないわけではなかったのですが
    あの時は、もう、どうしようかと思いました

    私は、DV被害に遭ったと気付いてからも、世界は敵だらけだと何度も感じていたのだと思います
    自分では、「敵」という言葉を使わなかっただけで、何度も何度も繰り返し、そう思い込み、暗い穴に落ちていました
    それは、まさしく、夫である彼と同じ行為でした
    あんなに彼を責めていた私が、彼と同じことをしていたわけです
    DVを通して、私と彼は正に、一対になっていたのです
    私がそのことに気付かなかっただけで、敵地で孤軍奮闘する生き様を続けていたのです

    でも。
    世界は、敵ではないと教えて下さったのは、このブログを読んで下さる皆様です
    コメントを寄せて下さる方ももちろんですが、読んで下さっていることだけでも、どれだけ私に大きな力と・・・。
    「一人じゃないよ」
    と、いう・・・かけがえのない勇気を下さったことか
    今、携帯電話で。
    パソコンで。
    このブログを読んで下さる、あなたが、そこにいて下さるだけで、あなたが生きていて下さるだけで、私は、いつもいつも勇気を貰っています
    大蛇の中で叩き込まれた「世界は敵だらけ」というプログラムに負けないで、かろうじてこの世界を愛する気持ちが残っていたのは、本当に本当に・・・あなたのおかげなのです
    いつもいつもありがとうございます

    今日も、読んで下さりありがとうございます
    メリークリスマス!ですね
    どうか、皆様くれぐれも心身を大切になさって下さいね

















    自分を勇気づけるために DVと向き合いながら パート2

    • 2009.12.26 Saturday
    • 23:37

    自分を勇気付けるためには、どんなことをすればいいのか?
    周りを敵と認識してしまった「自分」を・・・どのようにすれば、変えることが出来るのか。
    これは、とても難しい問題です
    DV被害に遭うと、「世界」=「DV加害者」になります
    そうしなければ、虐待や暴力がひどくなるからです
    自分の命を守るために、「世界」=「DV加害者」、「自分」=「DV加害者」になっていくわけです
    それが続くとどうなるのか・・・
    心身が耐え切れず、悲鳴を上げ、病に倒れる確率が、とても高くなります
    つまり、「自分」を守るために思考の組み換えや我慢をしていたはずなのに
    結局は、自分自身の肉体が、魂が、本来の「自分」を守ろうと、病気を呼び寄せるのです
    と、いうことは・・・。
    病を呼び寄せたのは、「自分」ならば
    病を遠ざけることも、「自分」は可能ではないのでしょうか・・・?
    「自分」を守るために、病を選択した「自分」。
    では、その反対に。
    病を選択しない「自分」に、なることも可能なわけです
    しかし、そのためには・・・病を選択しないでいい方法を考え出さなくてはいけません
    これが・・・・難しいのですよね・・・・

    DV被害に遭うと、すべての方向性がDV加害者を向いてしまいます
    「あの人さえ、何とかなれば・・・」
    「彼さえ、何とか変わってくれれば・・・」
    と、思考がフル回転して、当然です
    ですから、
    「病を選択しないで済む方法」
    を考えれば、考える程、DV加害者を変えようと、頭の中がいっぱいになってしまいます
    私も、そうでした
    自分のことよりも、彼のことばかり考えて、何とかしよう、何とかしなきゃ、何とかすべき・・・と、そればかりでした
    そして、そんな「私」が、どうなっていたかというと・・・とにかく、人のことが気になりました
    人に合わせたり、人の世話を焼いたり、人を心配したり、とにかく他者に嫌われないように、叱られないように、ビクビク不安を抱え、そのくせ、DV被害のことを批判されると、ヒステリックに泣き喚いて・・・
    ずっと、夫である彼に合わせる、彼の意に添う、彼の肩代わりをする、彼を引き立てる・・・ということをしてきたため、他の人にも、そうせずにはいられない思考パターンが出来上がってしまっていたのです
    DV行為をやめられない彼にイライラし、不安がどんどん大きくなると同時に、周囲とのコミュニケーションもうまく取ることが出来ず、私は、とても孤独を感じて泣いてばかりの時がありました
    ですから、まず。
    第一歩は、
    「人の期待を満たそうとは、考えない」
    です。
    本の中では、次のように書かれています

    「人に合わせないというのは、人が自分について持っているイメージに合わせないということである。
    そのイメージとは、多くの場合、他者の自分への期待である。
    しかし他者が私の期待を必ずしも満たさないように、自分も他者の期待を満たさなくてもいい」
    (「アドラーに学ぶ 生きる勇気とは何か」岸見一郎著、アルテ株式会社、2008年、P.49、4行目)

    彼に対しても、他の人に対しても
    自分に与えられているであろうイメージを必死に考え、その通りに振舞う必要は、ないのです
    どう思われているのかな・・・とか。
    どんな風に感じているのかな・・・とか。
    と、相手の思考を必死に読み取らなくてもいいのです
    もしかしたら、こんな風に言って欲しいのかな・・・じゃあ、言わなくちゃ・・・とか。
    もしかしたら、こんな風にして欲しいのかな・・・じゃあ、やってあげなくちゃ・・・とか。
    と、動かなくてもいいのです
    言いたいことは、人は言うし。
    して欲しいことは、伝えます。
    もしも、わざとそうしない人であれば、それはその人のやり方であり、思考パターンというだけで、こちらが対応を苦慮する必要はないのです

    拒絶、否定に遭った時
    虐待、暴力に遭った時
    陥りやすい罠は、不幸のパターンの確立です
    「どうせ・・・こういう運命なんだ・・・」
    と、諦めて、どんなに苦しく悲しく辛い状況になろうとも・・・
    自ら、そのパターンを選択し、生きていってしまうことです
    始まりは、突発的なものであっても、そのパターンを確立してしまうと、自ら罠に飛び込むような仕掛けを作りかねない人生を選んでしまうのです
    私は、PTSDの発作が起きそうになると、相手に対して冷静な対応が出来なくなります
    とても感情的になり、怒りや悲しみが湧いてきて、最後は恐怖でいっぱいになり、涙があふれ、震えて倒れます
    そういう時の私は、罠に自ら掛かりにいくような程に、無謀なことが多いです
    話を中断して、さっさと退散する。
    もしくは、簡潔に病状を説明し、離れる。
    何故か、そういう対応を選択せずに、その場に留まり、相手を刺激してしまうことが多々あります
    出来上がったパターンから逃れられず、そのパターンが怖くてたまらないのに、また繰り返すことを選択してしまっているのです
    この私のパターンは、私の病気が良くなり始めると、必ず彼の爆発があり、再び重症化するということが、一年以上続いた結果
    確立してしまったパターンです
    しかし、このパターンから抜け出すことを考えないと、一生私は、自ら罠を探し、罠に飛び込む人生を選択しかねません。
    問題に気付いたのならば、どうすれば解決することが出来るか
    少しでも、良くなる方法はないか
    大変しんどいことですが、考えなくてはいけないと思います

    DV加害者を含め、他者の期待を満たす義務は、あなたご自身にはありません
    あなたは、本当は、自由なのです
    罠に向かうパターンが、あなたご自身を苦しめているのだとしたら、そのことにどうか気付いて下さい
    気付いた時、そのパターンと闘う気持ちが芽生えます
    闘う勇気をどのように持つことが出来るのか、これからも考えていきたいと思っています

    今日も読んで下さり、ありがとうございました
    急に夜になり、強風が吹き、一気に寒くなりました
    どうか、くれぐれも心身ご自愛下さいね















    自分を勇気付けるために DVと向き合いながら パート3

    • 2009.12.28 Monday
    • 23:41

    子育ての本を読むと、
    「子供への勇気付けが、大切です。勇気付けは、自己肯定感を育て、”ぼくは、わたしは、生きていていいんだ”と、揺るぎない基盤を築き、人生の困難に立ち向かう強さを育てます」
    と、書いてあったりします
    で、さらに詳しく書いてある本だったりすると、
    「子供への勇気付けには、お母さんやお父さんの言葉かけなど適切な対応が、不可欠です」
    と、添えてあったりします
    で、心理学の本を読んだりすると、
    「自分を勇気付けられない人は、他者を勇気付けることは出来ません。自分を愛せない人が、他者を愛せないように」
    と、書いてあったりして、
    「ええ?じゃあ、私、子供を勇気づけられないじゃないかぁ〜〜〜〜〜〜〜ッ
    と、ショックを受けて、そのまま落ち込んだこともありました

    で、アドラー心理学の本を開いてみると、

    「私は自分に価値があると思う時にだけ、勇気を持てる」
    「そして、私が価値があると思えるのは、私の行動が共同体にとって有益である時だけである」
    (「アドラーに学ぶ 生きる勇気とは何か」岸見一郎著、株式会社アルテ、2008年、P.59、11行目、13行目より)

    と、ヒントが書いてあったのです

    要するに、
    「私は、生きていていいんだなあ」
    と、自分自身のことを感じる時、勇気は生まれ、芽生え、育つ、と
    そして、
    「私は、生きていていいんだなあ」
    と、感じることが出来る時は、いつなのか?
    というと、誰かのために役に立った時である、と
    その「誰か」とは、「共同体」とあるので、個人でも、家族でも、会社でも、近所でも、社会全体でも、何でも含まれると思います。
    自分のことよりも、人助けを優先して生きろ・・・ということではない、そうです
    では、何か
    「自分からは何も与えず、他者から期待する」
    を逆転し、
    「他者からは期待せず、自分から何かを与える」
    を実行するのです。
    すると、自ずと、誰かのために貢献することが出来るようになり、自分の中に勇気の種を植え付けていくことが出来るというのです。
    一番簡単な方法は、
    「ありがとう」
    と、伝えることです。
    「ごめんなさい」「申し訳ないね」「すみません」「恐れ入ります」「失礼致しました」
    ではなく、極力、
    「ありがとうございます」
    を使ってみるのです
    自転車で走っていて、歩行者の方が道を譲って下さった時、
    「すみません」ではなく「ありがとう」に、してみる
    家族が、手伝ってくれた時、
    「申し訳ないね」ではなく「ありがとう」と、言ってみる
    友達が話を聞いてくれた時、
    「いつもごめんね」ではなく「いつもありがとう」と、伝えてみる
    すると、言われた相手の方は、
    「誰かのために貢献できた」
    という、
    「勇気付けの種を胸に宿すこと」
    が出来るのです
    そして、同時に、
    「ありがとう」
    を伝えた自分自身も、
    「種を宿すお手伝い」
    をしたことになります
    すると、社会に貢献したということで、知らず知らず、心の中に自分自身も勇気付けの種が植えられいくことになります

    注意する点は、
    「ありがとう」
    の言葉をどのような気持ち、立場から発するか?だと、思います
    私の夫は、別居前。
    私に対して、感謝の気持ちを言葉にして伝える時、
    「ありがとう」
    と、言いながら、次のようなことを胸に抱いていたそうです
    「ご苦労だったな、それでいいんだよ
    「よく出来たな、うんうん、ご褒美をやろうか
    「余は満足じゃ
    「よきにはからえ
    私は、いつも彼が感謝の言葉を発したり、思いを持っていると主張する度に、激しい違和感を感じていました
    私は、ただの「ありがとう」が、欲しかったのです
    「くるしゅうない、余は満足じゃ〜〜〜
    「ありがとう」は、嫌だったのです
    当時、彼は、私が感謝の言葉を伝えると、途端に不機嫌になったり、とても居心地が悪そうな感じでした
    彼には、上下関係がすべてであり、「ありがとう」という言葉は、正に上から下への「ご褒美」としての言葉だったので、下の位置にいるはずの私なんぞが使ってはいけない言葉だったのです
    何度も、
    「お礼を言われると、イライラする」
    「何で、お礼を言うの?いちいち」
    「言わなくていいよ、お礼なんか」
    と、彼が言っていたのを思い出します。
    私は、彼の自己肯定感が低い故に、卑屈になっているのかな?とか、それとも奥ゆかしい面があるのかしら?と、勝手に思っていました
    そうではなくて、
    「”それは、お前に許されている言葉じゃないだろう、何で、それが分からないかなあ?”と、ひどいことを思っていた・・・」
    と、最近、正直に話してくれました

    ですから、
    「ありがとう」
    を伝える時は、上から目線ではなく、あくまでも対等な立場を守り
    「生きて、そこにいてくれて、ありがとう」
    の気持ちを込める
    と、いいそうです
    言われた方の「勇気付けの宿り」が、グッと効果を増すそうです
    ・・・だから、こっちが「勇気付け」て欲しいんだよ。
    ・・・だから、こっちに、「生きていてくれて、ありがとう」って、言ってくれよ。
    そう、私自身の心の声が、聞こえました
    ですから、自分にも、
    「ごめんね、私・・・」
    じゃなく、
    「ありがとう、私・・・」
    と、言い換えることにします
    世界は、敵だらけじゃない。
    そのことに気付き、何とかしたいけど、どうしたらいいのか分からない。
    そんな時のキーワードは、
    「ありがとう」
    でした。
    自分にも、他の人にも、少しずつ使い、勇気の種を植えていきたいです

    今日も読んで下さり、ありがとうございました
    いよいよ年末に入り、お忙しいことと思います
    くれぐれも心身をお大事になさって下さいね











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